熊本市消防団は、昭和45年11月1日、託麻村の熊本市編入を機会に熊本市北・南・川尻の消防団を1団に統合、熊本市消防団として熊本市を6ブロックに編成し活動を開始、その後、平成3年2月の旧飽託郡四町との大合併に伴い、4ブロックを増設して10ブロックとなり、消防行政に欠かすことのできない戦力となりました。
平成11年10月1日「ブロック」を「方面隊」と名称変更するとともに、第3方面隊を二分割し、市内を11ケ方面隊とすることで、組織の活性化を図り、各方面隊の指揮命令及び意思疎通を一層きめ細やかなものにするための機構改革を行い、さらに、平成14年4月には熊本市消防団として初めて女性消防団員を採用、応急手当の普及や予防広報に大きく貢献しています。
平成20年10月6日の旧富合町との合併により第12方面隊を新設、さらに平成22年3月23日の旧植木町と旧城南町との合併に伴い、15ケ方面隊 87ケ分団 の組織となりました。
平成24年4月1日、本市は政令指定都市へ移行、常備消防においては防災、減災等さらなる消防体制の拡充を図るため5署体制に順次移行する中、消防団においても組織改編に向け精査し、区政に合わせた再編成を行い16ケ方面隊とし、平成26年4月1日から運用を開始しました。
あわせて、平成26年4月1日には機能別団員制度のひとつである防災サポーターを創設し、さらに、平成27年4月から消防団協力事業所表示制度導入しました。
また、消防団員は平成28年熊本地震の際にも、支援物資搬送や避難所支援等多岐にわたる活動を行い、市民からの大きな信頼を得ており、これからも今まで以上に市民のニーズに対応した愛される消防団を目指しています。
明治23年 | 訓令第142号消防組織設置標準ができる。 |
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明治24年1月22日 | 消防組に関する新規程設置。全市に8消防組成立。 |
明治27年6月22日 | 消防組の組織が成立、警察部長から組頭、小頭が任命される。 黒髪、池田、花園、横手、大江、島崎、春日、古町、本荘、春竹の市編入、 警察署の南、北詰置に伴い、消防団も南、北の2消防組に分かれる。 当時 北消防組 14ケ分団 南消防組 11ケ分団 |
大正14年4月1日 | 出水村の市編入により北消防組は18ケ分団となる。 |
昭和6年6月1日 | 白坪村の市編入により南消防組は13ケ分団となる。 |
昭和7年2月15日 | 画図村の市編入により北消防組は21ケ分団となる。 |
昭和11年10月1日 | 健軍村の市編入により北消防組は24ケ分団となる。 |
昭和14年4月 | 警防団令の公布に従い消防組から警防団に改名する。 |
昭和14年8月1日 | 清水村の市編入により北消防組は28ケ分団となる。 |
昭和15年12月1日 | 川尻町、日吉、力合村の市編入に伴い9ケ分団で川尻警防団を結成。 |
昭和22年5月1日 | 警防団から消防団に改名。 |
昭和23年3月7日 | 消防組織法の施行。 |
昭和28年4月1日 | 田迎、御幸村の市編入により南消防団は17ケ分団となる。 |
昭和28年7月1日 | 高橋町、池上、城山村の市編入により、南消防団は23ケ分団となる。 |
昭和29年10月1日 | 秋津村の市編入により北消防団は30ケ分団となる。 |
昭和30年4月1日 | 松尾町の市編入により南消防団は27ケ分団となる。 |
昭和31年1月1日 | 保田窪、新南部の市編入により北消防団は31ケ分団となる |
昭和32年1月1日 | 竜田村の市編入により北消防団は34ケ分団となる。 小島町の市編入により南消防団は30ケ分団となる。 |
昭和33年4月1日 | 中島町の市編入により南消防団は34ケ分団となる。 |
昭和39年4月1日 | 退職報償金制度ができる。 |
昭和45年6月1日 | 1校区1分団制に改組される。(北消防団25ケ分団、南消防団19ケ分団、川尻消防団4ケ分団となる。) |
昭和45年11月1日 | 託麻村の市編入を機会に3団を統合して1団6ブロック制となし、熊本市消防団となる。 (1団51ケ分団、定員2,215人) |
昭和48年10月1日 | 条例改正により定員が2,070人となる。 |
昭和49年1月1日 | 楠校区に消防分団が設置され52ケ分団となる。(1団52ケ分団、定員2,070人) |
昭和49年11月1日 | 従来、川尻校区(第50、51分団)のみ1校区2ケ分団であったが、1校区1分団の原則に基づき、1分団に統合される。(1団51ケ分団、89部、定員2,070人) |
昭和51年3月1日 | 東町校区に消防分団が設置され52ケ分団となる。 (1団52ケ分団、定員2,070人) |
昭和52年4月1日 | 桜木、麻生田両校区に消防分団が設置され54ケ分団となる。 (1団54ケ分団、定員2,070人) |
昭和55年4月1日 | 月出校区に消防分団が設置され55ケ分団となる。 (1団55ケ分団、定員2,070人) |
昭和58年4月1日 | 武蔵校区に消防分団が設置され56ケ分団となる。 (1団56ケ分団、定員2,070人) |
昭和59年4月1日 | 田迎南、弓削校区に消防分団が設置され58ケ分団となる。 (1団58ケ分団、定員2,070人) |
昭和60年4月1日 | 託麻西、城南校区に消防分団が設置され60ケ分団となる。 (1団60ケ分団、定員2,070人) |
昭和62年4月1日 | 出水南校区に消防分団が設置され61ケ分団となる。 (1団61ケ分団、定員2,070人) |
平成3年2月1日 | 飽託郡四町との合併に伴い、15ケ分団が設置され76ケ分団となる。(1団76ケ分団、定員3,830人) |
平成4年3月31日 | 奥古閑校区第67、68分団を統合し(第68分団は欠番)75ケ分団となる。 (1団75ケ分団、定員3,830人) |
平成4年10月1日 | 西里校区第74、75、76分団を統合し、第74分団とする。 (1団73ケ分団、定員3,830人、第68分団は欠番) 川上校区の3部を5部とし、川上北部東校区を北部東校区と改め、5部を3部とする。 |
平成6年4月1日 | 消防団太鼓隊、ラッパ隊発足。 |
平成9年4月1日 | 定員3,830人を3,530人に改正する。(1団73ケ分団) |
平成10年4月1日 | 消防団まちづくり推進事業を開始する。 |
平成11年10月1日 | 「ブロック」を「方面隊」に名称変更。3方面隊を分割し、11方面隊に組織変更。 |
平成14年3月27日 | 消防庁長官より「消防団地域活動表彰」を授与される。 |
平成14年4月1日 | 女性消防団員31人が採用される。 (1団74ケ分団) |
平成17年11月9日 | 熊本市消防団活性化検討委員会を設置する。 |
平成20年10月6日 | 下益城郡富合町との合併に伴い、富合町消防団を熊本市消防団に統合し、第75分団とする。 (1団75分団、定員3,781人) |
平成22年3月23日 | 鹿本郡植木町と下益城郡城南町との合併に伴い両町消防団を熊本市消防団に統合し、第76~87分団とするとともに植木町消防団所属のトランペット隊を熊本市消防団トランペット隊とする。 (1団 15方面隊 87分団 1トランペット隊、定員5,338人) |
平成24年4月1日 | 消防団本部付であった第68分団(女性分団)を第10方面隊に統合する。 |
平成26年4月1日 | 政令市移行に伴う行政区内における消防団活動の更なる統制などを図るため、区政に準じて改編し、15ケ方面隊を16ケ方面隊とする。機能別団員制度を創設し、災害時に開設される避難所等において活動する機能別消防団員、通称「防災サポーター」(市内3大学140人)を発足する。 |
平成27年3月13日 | 熊本市大学生等消防団活動認証制度を導入する。 |
平成27年4月1日 | 熊本市における消防団協力事業表示制度を導入する。 |
平成28年4月14日,16日 | 熊本地震の発生により、災害活動、支援物資搬送、避難所支援など多岐に亘る活動を行う。 |
平成29年3月12日 | 消防庁長官より「熊本地震に際し尽力した功績をたたえ活動表彰」を授与される。 |
平成29年9月1日 | 内閣総理大臣より「防災功労者表彰」を授与される。 内閣総理大臣より「熊本地震に際し尽力した功績をたたえ活動表彰」を授与される。 |
平成30年4月1日 | 消防団員の定数を5,338人から4,800人へ改正する。 |
令和3年4月1日 | 西里校区第74分団の部を12部から3部へ統合する。 |
令和5年4月1日 | 機能別団員として新たに「災害対応団員」を創設する。 |